財団法人掬粋巧芸館は鑑賞用陶磁器の美術館です。
設立は昭和7年、大倉集古館、大原美術館に次ぐ3番目の私設美術館で財団法人登録は日本初の登録美術館第一号に当たります。
財団法人登録に当たり庄七は後世の陶磁器拡散を恐れ彫刻家の新海竹太郎氏、十一代目昌平と相談し財団法人登録に踏み切りました。
庄七が陶磁器に興味を持ち始めたのは茶道好きの祖父(八代目)の影響で学生時代浅草の夜店でお土産として古染付けの南京皿を購入した事にルーツはあります。
尊敬していた祖父に良い買い物をしたと褒められた事を機に庄七は陶磁器に没頭していきます。
骨董好きになっていた庄七は明治末期から主に日本陶磁器を買い求めていました。
大正中期に入り中国で陶磁器の発掘が盛んになるにつれ東京の骨董商の一部が中国より買い入れ細々ながら売っていました。
幸いにも資産家達(彩壺会のメンバー等)は当時の陶磁器に熱中し、発掘品に対しては嫌悪感を抱きあまり目を向けなかったので割安に求めることが出来ました。
掬粋巧芸館は本来「掬粋蔵」と言う名前で当時彩壺会で一緒だった奥田誠一氏に付けて頂いたものなのですが、庄七は将来は工芸品も集める予定で掬粋巧芸館と言う名前に改めたのです。
現在掬粋巧芸館では重要文化財をはじめとして、重要美術品、県文化財等、中国 漢時代〜清時代・朝鮮 新羅〜李朝・日本 鎌倉時代〜近代・南方の陶磁器を所蔵しております。